こんにちは。スタッフの関根です。
こころに、ちいさな“ゆとり”があるだけで、世界の見え方はぐっと変わります。
CORONOAH(ころのあ)の語源は、「こころのあそび」
今日は、ころのあで日々感じている、「こころのあそび」について綴りました。
◆こころのあそび<余白>のたいせつさ
“いつも頑張ってるひと”は、ギリギリが当たり前になっていて、
“敏感に感じやすいひと”は、我慢がいつものことになっていて、
自分でもよく分からないタイミングで、急にコップの水が溢れて、つらい思いをすることがあります。
どうして、こんなにも余裕がないんだろう?
だからもっと余裕があれば。。。と思うかもしれません。
この、つらくなる前の大切な余裕のことを、こころのあそび<余白>と呼んでいます。
ところが、こころのあそび<余白>は
持ちたい!
と思ってもなかなか生まれないし、
持たなければ!
と思ったら、なおさら生まれない、不思議なものなのです。
ころのあの活動のベースには、それぞれのこころのあそび<余白>つくりをお手伝いし、自分自身の<余白>の作り方を見つけられるように、という思いがあります。
◆「好き」はそのひとらしさのあらわれ
一緒に楽しみ笑うこと、自分らしさを認められることは、自分が大切な存在であることを実感することとイコールです。
そこで体験する心地よさ・安心は、自分自身を大切にしていいというメッセージとなって届きます。
何をして遊びたいかがが分からなくても、「好き」と感じることは誰にでもあります。
見えなくなっていることもあるけれど、それを一緒に見つけるところからスタッフは寄り添います。
すべすべしてるものがすき。
ふわふわしてるものがすき。
キラキラしてることがすき。
知ってることを知ってもらうのが好き。
知らなかったことを知るの好き。
そんなことが見えてきます。
安心できる時間を重ねて、やがて「遊びたいこと」が具体的に出てきたら、
“遊べる”ということそのものが、もうすでに余裕の種です。
その種はやがて未知のものへの好奇心や、不快を消化する力を伴って子どもは育っていきます。
◆あそび『余白』を生むのが、あそび『遊び』
好きなことがある子はとても元気です。
それでも、「こころのコップがどうしてもあふれがちなんだよな・・・」と、CORONOAHで一緒の時間を過ごします。
❤好きな世界に没頭できると満たされるから、時間を忘れて一緒に没頭してみる・・・
❤たまったエネルギーを爆発して発散したい子なら、一緒に発散できる遊びで楽しむ・・・
❤静かに過ごす時間がほしいけど、ひとりぼっちはいやな子ならそっとそばにいて文化を共有する・・・
❤好きな世界をみんなにも知ってほしい子ならば、いっぱい聞いて大人も賢くなってみる・・・
❤学校では教わらないことを調べたり実験したりしてワクワクしたいなら、一緒にワクワクして過ごす・・・
それぞれに、こころに余白が生まれる”瞬間”を感じたり、”状態”を味わう時間をつくります。
ひとりひとり違う「好き」や「安心」の入口とかたち。
ころのあは、それぞれの心に合った余白のつくり方を、一緒に探しています。
こころにあそび<余白>を持てるように
そして、自分の人生を生きる喜びを損なわずにこの先も成長してゆける、とその子自身が感じられるように
スタッフはみな、<遊び>の楽しさ・嬉しさを大切に、安心のベース(ネスト)として、
いつもここ CORONOAHorange & MINANOHA多摩に居ます。
“安心をベースに愉しく心が育つ時間を”
CORONOAHorange & MINANOHA多摩